ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ
トップページ > 100years > ゆかりの人:第2回 鯨井 恒太郎 氏

ゆかりの人:第2回 鯨井 恒太郎 氏

印刷用ページを表示する 更新日:2021年11月19日更新

 鯨井 恒太郎 氏 (東京市電気研究所 初代所長)

 

 鯨井氏

[在籍期間:1924年 から 1928年]

 

   逓信省電気試験所所員、東京帝国大学の鳳 秀太郎教授(鳳‒テブナン定理で有名)の研究室にて助教授および教授を経た後に電気研究所の建設責任者となり、1924から1928年電気研究所初代所長を兼任した人物です。

   秘密通信機や整流器、電気集塵機、白熱電球利用の光通信機などを発明し、特許取得などの権利化を世に先駆けて行いました。研究の自由と各人の独創性を尊ぶという方針のもと、古賀逸策氏をはじめとする後進の育成にも力を注ぎました。

   鯨井氏の発明の中でも特筆すべきは秘密通信機です。当時のラジオでは振幅を音声に変化させて送る方法が一般的ですが、これを変化させずに電波の位相を変えて送る特殊な通信方法を開発しました。これにより、「特定の受信機以外には絶対に感じない」、「完全に通話内容の秘密が保たれる」ということが可能となりました。

   1928年の日本大学工学部創設にあたり電気工学科の設置に尽力しました。1929年には東京工業大学の創設とともに電気工学科主任教授を兼務した他、理化学研究所員、電気学会副会長、日本ラジオ協会副会長、照明学会会長なども歴任しました。門下からは仁科芳雄氏ら多くの電気工学者が輩出。八木アンテナの発明者となる八木秀次氏に無線分野に進むように示唆したとも伝えられています。

後輩研究員からの一言

   私が記念誌制作支援のために古賀氏(ゆかりの人(1)参照)を調査していたときに、古賀氏は独自で業績を上げることができたのか、古賀氏を育てた上司が存在するのではないかと疑問を持ちました。そこで過去の資料を調べたところ、鯨井氏の存在を知ることができました。

   鯨井氏は、電気研究所の初代所長として、大正、昭和初期にさまざまな事業を行っております。これらの事業への取り組みと考え方は、現代でも通用するものと考えます。もし、現代のインターネット、IoT、5Gの時代に鯨井氏が都産技研に所属していたとしたら、どのような研究や事業を行っているのか、興味が湧くところです。

 鯨井氏は、電気研究所40年史の古賀氏の回顧にもありますが、部下から慕われていたことが分かります。研究者だけでなく教育者としての一面が見受けられます。私も、管理職の一人として鯨井氏の遺志を継ぎ、第二、第三の古賀氏を輩出できるように努めていきたいと考えます。

    職員写真

  試行錯誤中?(1990年撮影)

  電子技術グループ長

  上野 武司

 


ページの先頭へ