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100周年にあたって

印刷用ページを表示する 更新日:2022年3月17日更新

100周年に向けたメッセージ

理事長 おくむら つぐのり

rijicho 東京都立産業技術研究センター(都産技研)の創立100周年記念式典まで、あとわずかとなりました。この間、新型コロナウイルスの感染拡大は一方に収まらず、そんな中でも、記念誌制作や表彰事業、あるいは2050年を展望した将来ビジョンの策定など、100周年記念事業の準備は着々と進めてまいりました。

 どうぞご期待ください。

 さて、都産技研は一貫して、中小企業の皆さまの技術面での支援を通して、東京の産業振興に貢献してきたという誇りをもっています。この100年の間には、社会や産業は大きく変わってきました。そして、現在(いま)起こっている変化は、これまでの想像をはるかに超えて、急激でドラスティックなものです。都産技研は、『変わる産業』の行く末をしっかり見定めて、中小企業の皆さまを力強くバックアップしつづけてまいります。

 ところで、今年のNHK大河ドラマ「青天を衝け」では、主人公である渋沢栄一と彼が活躍した時代が活きいきと描かれています。近代日本の礎を築いた巨人 渋沢栄一翁はまた、都産技研のルーツとなる「府立東京商工奨励館」の設立にも奔走されました。その設立趣旨は、100年を経た今でも『変わらない使命』として、今の都産技研の職員にしっかりと受け継がれています。

 われわれは、引きつづき「総合力で頼りになる都産技研」を目指して、機動的な事業展開を進めてまいります。

 

理事 角口勝彦

rizi 都産技研のルーツとなる機関の中で、戦前~戦後を経験した商工・工業奨励館、電気研究所、染織・繊維工業試験場は、東京の工業振興のリード役として各種検定・検査業務、工場巡回診断・指導、研修、現場向け参考書出版など、中小企業の技術力・競争力の向上のために積極的に取り組みました。戦争による設備の破壊、進駐軍の土地・建物接収などの困難な状況下でも、懸命に企業支援を継続した先人の努力には敬服するばかりです。そのような中、水晶発振回路の研究で進取の気性を示した古賀逸策博士の業績は特筆すべきものでしょう。

 「戦争を知らない子供たち」世代の工業技術センター、アイソトープ研究所の頃になると、高度経済成長期に入り公害対策、省資源・省エネの推進など、社会課題とも向き合う必要が出てきました。これらに効率よく対応するため、都内に分散する工業系公設機関の統合と適所へのブランチ配置が進んだことが見て取れます。

 以上の流れの先に、東京都立産業技術研究所および現在の都産技研があります。ここでのキーワードは異業種間・公設試間の連携強化すなわち「つながる産業と協同支援」であるように思います。複雑性が増す現在と今後の社会を考える上で、諸先輩方の熱意とそこからの気づき・学びを、我々は大切にしていかなければならないと感じました。

※記念誌より転載

 

顧問 鈴木雅洋

komon 100年前の1921年11月26日、府立東京商工奨励館の開館式が1,300人もの招待客のもと、盛大に執り行われました。

 この日を都産技研の開業日とし、まもなく創立100周年記念日を迎えます。

 節目となるこの機会に、これまで都産技研とともに歩んでくださった皆さまへの感謝の気持ちをどのように伝えようか、長引くコロナ禍の中、さまざまな取り組みに策を凝らして臨んでいます。

 そのための100周年記念事業プロジェクトを立ち上げ、記念式典や記念誌作成など5つのワーキンググループをつくり進めています。

 また、この記念すべき事業が今年限りの単なるお祭りに終わることなく、次の100年につながることにも注力しています。

 まもなくその全貌が明らかとなるところですが、2050年の社会と産業をターゲットとした「都産技研ビジョン2050」や来年以降も継続する表彰事業などにもぜひともご注目ください。

 都産技研は100年後も変わることなく、お客さまからの期待に応えるよう、日々の課題解決に向け邁進して参ります。

 

設立100周年記念事業プロジェクト 統括実行委員長 大久保一宏

tokatu新たな一歩へ ~設立100周年記念事業を振り返って~

 この100 年、ともに歩んできていただきました企業や関係機関の方々に御礼申し上げます。

 私自身、都産技研で働き25 年、ここに100 周年を迎えられ、記念事業に関われたことはとても光栄なことでした。

 記念事業に関わったメンバーも、それぞれがさまざまな想いを胸に抱き活動してきました。

 私たちは設立100周年記念事業にあたり、「変わる産業 変わらない使命」をスローガンに掲げ、設立以来変わらない中小企業支援という使命を役職員全員が改めて心に刻みました。

 50 年後、100 年後に想いを馳せるときりがありませんが、これまでの100 年が原点となり、より輝かしい未来を迎えていることを期待しています。

 

100周年記念事業コンセプト ―変わる産業 変わらない使命―

コンセプトに込めた想い

変わる産業 変わらない使命

 

府立東京商工奨励館が渋沢栄一の尽力により誕生した大正10年から100年。

この間、科学技術は猛スピードで進化し続け、かつては夢物語だった技術が現実のものとなっています。

その一方で、「中小企業を科学技術で支援する」という私たちの使命は、誕生から変わっていません。

今までも、そしてこれからも、この使命を胸に「頼りになる都産技研」であり続けたいと考えています。

この想いを込めて、100周年記念事業のコンセプトを「変わる産業 変わらない使命」としました。

 

100周年記念ロゴ紹介

100周年記念ロゴマーク(通称「100ロゴ(ヒャクロゴ)」)

 

都産技研100周年記念ロゴマーク

100周年記念事業コンセプト「変わる産業 変わらない使命」を体現すべく、「100ロゴ」のデザインを所内公募し、全33作品の中から、職員投票等により決定しました。

TIRIロゴマークのモチーフをイメージし、コーポレートカラーである”活力・情熱”の「TIRIレッド」、”精確・正当・英知”の「TIRI ブルー」を採用しています。

この「100ロゴ」は、2020年10月から2022年3月31日までの間、100周年関連事業をはじめさまざまな場面に活用し、設立100周年を契機とした想いと決意を伝えていきます。

 

デザイナーコメント

このロゴは「1」を人に見立て、産業に努める様(さま)を表しており、府立東京商工奨励館から産業振興に尽力してきた都産技研の「時代は変わっても、果たすべき使命は変わらない」決意が込められています。

また、都産技研が100周年であることがわかるよう、TIRIロゴマークをモチーフにデザインしました。

これまで歴史を築いてきた先輩方の努力を継承し、次の100年に向かって挑戦しつづけるシンボルとなることを願っております。

角坂麗子研究員(デザイン技術グループ)角坂麗子研究員(前デザイン技術グループ)

 

実施概要

実行委員会組織体制

taisei

 


都産技研 100年の軌跡

1921年  府立東京商工奨励館(東京都立工業奨励館の前身)

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1921年、府立東京商工奨励館が設立されました。

翌年は、平和記念東京博覧会が開催され、第一次世界大戦の終結を記念し、日本産業の発展を祈った年でした。

 

1924年  東京市電気研究所(東京都電気研究所の前身)

電気研究所電気研究所

1924年、東京市電気研究所が設立されました。

翌年は、東京放送局(NHKの前身)がラジオ放送を開始しました。

 

1927年  東京府立染織試験場(東京都立繊維工業試験場の前身)

東京府立繊維試験場東京府立繊維試験場

1927年、東京府立染織試験場が設立されました。

数年後には世界大恐慌が始まり、生糸の輸出が急激に落ち込んで、日本の繊維産業も大打撃を受けました。

 

1959年  東京都立アイソトープ総合研究所

アイソトープアイソトープ

1959年、東京都立アイソトープ総合研究所が設立されました。

国民所得倍増計画の発表、黒部ダムの竣工、東京オリンピックの開催など、日本の高度経済成長を感じさせる時代でした。

 

1970年  東京都立工業技術センター

工業技術センター工業技術センター

1970年、東京都立工業奨励館と東京都電気研究所を統合し、東京都立工業技術センターが設立されました。

経済成長に酔いしれた大阪万博、その後のオイルショックと、日本経済は激動の時代でした。

 

1997年  東京都立産業技術研究所

1997年、東京都立工業技術センターと東京都立アイソトープ総合研究所を統合し、東京都立産業技術研究所が設立されました。

山一証券や北海道拓殖銀行の破綻など、バブル経済の崩壊を目の当たりにした時代でした。

 

2006年  地方独立行政法人東京都立産業技術研究センター

都産技研都産技研

2006年、地方独立行政法人へ移行し、地方独立行政法人東京都立産業技術研究センターが設立されました。

この時代は何と言ってもリーマン・ショックによる世界的な金融危機です。

このページをご覧の方々の中にも、大きな影響を受けた方々も多いと思います。

 

2011年  江東区青海に移転

青海本部青海本部

2011年、地方独立行政法人東京都立産業技術研究センターは、江東区青海に移転しました。

東日本大震災の影響で移転の遅れはありましたが、皆さまのおかげで無事移転することができました。

これからも都産技研は、変わりゆく産業の中、変わらない使命を背負い、走り続けます。


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